2025年度第1回協働研修「遊び心を体感する!泥だんごづくり保育実践力向上ワークショップ」を開催しました!

  • 協働研修

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6月11日、京都教育365体育投注_365体育网址附属幼稚園で

第1回幼児教育協働研修を開催しました。

大雨警報で、幼稚園が休園となり、

講師の先生と5歳児との交流は

中止となってしまいましたが、

午後から京都府下の幼児教育関係者が附属幼稚園に集まり、

泥だんごづくりのワークショップ?講演を行いました。

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研修の企画趣旨は、

NHK時をかけるテレビ?今こそ見たい!この1本?「にんげんドキュメント『光れ!泥だんご』(初回放送日:2024年8月30日)の中で、泥だんご先生こと京都教育365体育投注_365体育网址名誉教授でもあられた加用文男先生が言われた言葉でした。

「将来、こういう力がつくから、何かの役に立つから、こういう遊びをするという考え方はやめた方がいい」。

加用先生が何度もおっしゃっていた「遊びは遊びだよ」という言葉の意味、

加用先生が体現しておられた遊び心とはどういうものかを

再考したいという意図を込めて、

「遊び心を体感する!泥だんごづくりワークショップ」の企画にいたったという経緯があります。

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遊び心を体感するワークショップでは、

自分の身体を存分に使い、

身体の感覚が外に開かれると同時に、

身体の内側の感覚を意識することにもつながります。

だからこそ感じられるものがあるのではないかと考えました。

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雨の中、附属幼稚園の先生方が用意していた土を、

遊戯室の床暖房で乾燥させながら、

オリエンテーションを行いました。

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「遊び心を体感する!」という趣旨にうってつけの

金坂尚人先生(神戸市立六甲道児童館館長/泥だんご研究家)が、

ご自身の遊び心あふれる姿を見せてくださり、

参加者の皆さんの遊び心もくすぐってくださいました。

土?砂の配合、ビニール袋での包み方に至るまで(!)

具体的な作り方、コツも惜しみなく伝えてくださいました。

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遊び心をもって体感する中でこそ感じられるものとして、

「私の」泥だんごへの愛おしさがあると思います。

泥だんごづくりをしていると、

金坂尚人先生から、「ぜひ、ご自身の手の中にある泥だんごに名前をつけてくださいね」というお声が。

参加者の皆さんは「うちの子」を手の中で慈しみ、

特別な我が子に愛情をこめていくのが、繊細でやわらかい手の動きから伝わってきました。

泥だんごを慈しむ中で、

自分の手がかかった泥だんごの個性、かわいらしさに愛おしさを感じ、

ありのままを受け入れることができ、懐を深くしているようでした。

それから、「この子、ええわ」

「この子、反抗期やわ。プニプニが止まらへん」

「ニキビができてしまったんですけど」と、

この子自慢しながらのユーモアや、ふざけた話の楽しさに、

参加者の皆さんの顔から笑みがこぼれていました。

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こんなふうに、泥だんごづくりを体感しながら、

参加者の方たちは、

「泥の声に聞き入る」ということをしていたように思います。

泥(環境)の呼びかけに応じて、対象の声に聞き入ること、

「おもしろがって楽しむチカラ」を発揮して

保育者も遊ぶ、感触を味わう、試す、工夫して、モノの声に聞き入ることが

そのまま教材研究になることを体で感じておられてるようでした。

溶解体験(自己と自己を取り囲む世界とのあいだの境界線が消えて溶解する体験)のなかで、

身体が次第に自然と一体化していく(矢野, 2013)ような感覚と、

その結果として出てくる

繰り返し試すこと、工夫、試行錯誤、

加減を考えること etc 、この順序性を感じておられるように見えました。

幼児期の「学び」には、

愛情を込めて、

自分の身体感覚を通して働きかけるからこそ

得られるものがあるということの実感でもあるように見えました。

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加用文男先生は、

「あそびとは自我の変容を楽しむ活動」と言われていました。

(『子ども心と秋の空 保育のなかの遊び論』1990年)

「幼児の場合は、(ぴかぴかに光る泥だんごを作ることが目的なのでなく)、でこぼこになったり、割れそうになっていたりしても、こすっていたら部分的に光ったりする箇所もできて、それをみて「光った!」と喜んでいる、こういう姿が貴重なのであって、普通なのだと思っています。

ようは、それを通じて、できたと思えたりしながら、土に触る感触、丸められたときの握り具合、そういう触感を楽しむ機会であってほしい、それを通じて、友達同士でおしゃべりできるゆったりした時間そのものが貴重なのだと思っています。」

泥だんごづくりは、ぴかぴかに光る泥だんごを作ることが目的なのではなくて、

その過程、そのゆったりとした時間そのものが貴重なのだと語っていました。

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1時間?1時間半のワークショップの中では、

この「ゆったりした時間」が流れていました。

それは、泥という物質が誘ってくれる時間であったようにも思います。

可塑性のある物質-泥-は、

無限に変化する中で、

主体と客体の距離が溶けていくような感覚をもたらします。

その中で、「今、この瞬間」に注意を向け、

何かに評価や判断をせずに、 ありのままの身体の感覚と泥だんごの表情を観察する、

マインドフルな感覚が自然と訪れます。

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ありのままの身体の感覚と泥だんごの表情を観察する、

マインドフルな感覚の中では、

たえず手がおしゃべりしています。

泥だんごの感触に、手でレスポンスを返すような手探りと手応えが生まれ、

手の「言葉」の語彙が増えていきます。

金坂先生の計らいで、

今回は、泥だんごを1人2個作ったのですが、

もう1個を作るときに、1個休ませたりして、

1個の泥だんごを延々と作り続けるという状況にはありませんでした。

「いつ休ませればいいんですか?」という参加者からの質問に、

金坂先生が「わかりません!自分が疲れたら、休ませたらいいですよ。煮詰まったら寝かせましょう」と含蓄のあるお言葉が返ってきて、

「そうか、子育ても保育も???ほどよい距離感が必要よね(笑)」と、

肩の力がふっと抜ける瞬間もありました。

泥だんごは、

土、水、天候、温度、湿度、時間がもつれ合う中で、

半分他力でできる過程でできていくんだ、と

泥だんごに、生命が宿っているような感覚にもなっていきました。

この半分他力なスローな時間は、泥に内包されている時間のようでした。

スローな時間の中で、「無」になり、

他の「しなければいけないこと」から解放される心地よさ、

周囲の人とのたわいのない会話の楽しさが味わえた研修となりました。

<引用?参考文献?資料>

  • Alison Clark(2022)Slow Knowledge and the Unhurried Child, Routledge
  • NHK時をかけるテレビ?今こそ見たい!この1本?「にんげんドキュメント『光れ!泥だんご』(初回放送日:2024年8月30日)
  • 加用文男(1990)子ども心と秋の空 保育のなかの遊び論、ひとなる書房
  • 加用文男(2015)遊びの保育の必須アイテム、ひとなる書房
  • 矢野智司(2013)生命性と有能性の教育に向けて. 円環する教育のコラボレーション. 15-28. http://hdl.handle.net/2433/176394(最終閲覧2025年6月19日)
  • Vea Vecchi(2010)Art and creativity, Routledge

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